祖母の手が伝えてくれたもの
祖母の家は平屋でした。
縁側があって、その向こうには今だったら駐車場になるくらいのお庭。盆栽がいっぱい並んでいました。昔の家だから少し薄暗くて、それがまた、なんともリラックスできて良かったです。
母が仕事をしていたから、朝、父と母の乗った通勤の車に私も乗って、祖父母の家まで送ってもらい、昼間はずっとそこで過ごしていました。保育園にも、祖父母の家から通っていました。
だから祖母は、私にとって母と同じくらい大切な人でした。
祖母は編む人でした。
小さな私の服を、座布団を、敷布団の上に敷くカバーを。残り糸をいくつも繋いで編んでくれたのでしょう、いろんな色が混ざっていて、今思えばとてもおしゃれでした。
温かくて、柔らかくて、それが当たり前だと思っていました。
そのカバーは今はもうありません。記憶の中だけにあります。でも、あのカラフルな色合いは、不思議なほど鮮明に覚えています。
毛糸玉にする時間
縁側の見える和室で、祖母と向かい合って座っていました。
昔誰かが着ていたであろうセーターをほどいた毛糸。それを洗って、干して。乾いた毛糸を私が両手に持って、祖母がゆっくりと毛糸玉にしていきました。
その時間が、たまらなく好きでした。
祖母は読書好きで、よく話す人でした。2人きりで、たわいもない話をずっとしていました。何を話していたかは、もう覚えていません。でも、あの時間の温かさだけは、今もはっきりと残っています。
内容は覚えていないのに、温かさだけが残っている。
そういう時間って、きっと一番大切な時間なんだと思います。
祖母はもういません。晩年は編み物もしていなかったから、一緒に編んだ記憶はありません。でも、あの和室で向かい合っていた時間が、私の中でずっと生きています。
だから私も、編みたいと思っていました。ずっと、心のどこかで。
ニットショップとの出会い
最初に気づいたのは、夫の運転する車の助手席でした。
駅前の商店街で信号待ちをしていた時、窓の外にふと目が止まりました。ハリーポッターに出てくるような、不思議な雰囲気のお店が一軒。気になったけど、そのまま通り過ぎました。
でも、ずっと頭の片隅にありました。
ある日、何気なく商店街を歩いていると、あのお店がありました。勇気を出して、扉を開けてみました。
まあ、なんということでしょう。
黒色の棚に、天井までびっしりとカラフルな毛糸がいっぱい。祖母の残り糸のカバーを思い出すような、あの色とりどりの世界が目の前に広がっていました。
毛糸に紛れて、小さなカードが一枚。プライベートレッスンのご案内でした。
気づいたら「始めたいです」と言っていました。
話しやすそうな店主とマダム。迷いは、ありませんでした。
それからもう10年以上が経ちました。店主は2年ほど前に旅立たれました。でも思い出はいっぱいあります。今もマダムと一緒に、ゆっくりと編み続けています。
編むリズムが好き
編むリズムが好きです。
針が毛糸をくぐるたびに、心が整っていく気がして。病院の待ち時間も、電車の中も、長く感じませんでした。針を動かしながら、ただ今この瞬間にいられる感じがします。
編んでいるときに誰かと話すのが好きです。
言葉が柔らかく、スゥーッと体に入ってきます。編んでいるときの会話は、何気ない話だから。でも、優しいんです。
祖母との和室での時間と、どこか似ている気がします。内容は覚えていなくていい。ただそこにいるだけで、温かい。そういう時間でした。
編んでいる人が好きです。
編んでいる人とは、一瞬で打ち解けられる気がします。同じリズムを持っている人たちだから、なのかもしれません。
編み物って、実はすごい
人間関係でストレスが溜まっていた時期がありました。
編んでいると、不思議と忘れられました。心がフラットになっていく感じがして。「なんでだろう」とずっと思っていましたが、ちゃんと研究している人たちがいました。
編み物をすることで、自律神経の調整に働くセロトニンの分泌が高まり心を穏やかにしたり、反復動作が心をリラックス状態に導いたり、瞑想と類似した効果が期待できることが研究により明らかにされているそうです。
つまり、編んでいる間、私たちは自然と瞑想状態に入っているということなんです。
「ニットセラピー」という言葉もあるほどで、編み物の反復的な動き、毛糸の美しい色や質感、そして一つの作品を完成させる達成感が、脳と心に良い影響を与えることがわかっているそうです。
そういえば、編んでいるものを身につけていると、見知らぬ人から「それ、編んだんですか?」と声をかけてもらえることがあります。
そういう人は、たいてい波長が合います。全員とお友達になるわけじゃないけれど、なんとなく私のアンテナに引っかかります。話していると、心地が良いんです。
編み物は、心をフラットにするだけじゃなく、同じ感覚を持つ人を引き寄せてくれる気がします。
私が愛用している道具と毛糸
道具は、ピンクのかぎ針セットを使っています。
機能的には普通のかぎ針と変わらないけれど、可愛いと気持ちが上がります。それだけで、編み物の時間がちょっと特別になる気がして。
かぎ針が好きですが、棒針でないと編めないものもあるので、両方使っています。
今の季節(初夏)はコットン素材が気持ちいいです。
愛用しているのは、パピーのコットンコナ。綿100%で、さらっとした手触りが夏にぴったりです。色展開も豊富で、選ぶだけで楽しくなります。日本の老舗メーカーということも、なんだか安心感があって好きです。
今は黒のコットンコナでパンツを編んでいます。
去年、同じ黒でトップスを編み上げたので、それと合わせるセットアップとして。もう2年越しのプロジェクトです(笑)
黒は年齢を重ねると、目が見えなくなるので、編めなくなるとマダムが言いました。確かにそうだな、と最近実感しています。黒を編めるのは、最後かもしれません。
今から始めたい方へ
編んでみたい、と思った方へ。
年齢は関係ありません。道具も、最初は最低限で大丈夫です。まずはコースターなどの小物から始めることをおすすめします。小さいから完成が早くて、達成感も味わいやすいです。
やり方はYouTubeで十分です。
以前、オンライン英会話でフィリピンのティーチャーと話していたとき、彼女が手作りのコースターを見せてくれました。YouTubeを何度も見て作ったと言っていました。カントリーサイドに住んでいて、毛糸を買いに行くだけで1時間かかるそうです。それでも、YouTubeだけで編めるようになっていました。
それを見て、編み物ってすごいなあと感動しました。
あれっ、夏でも編み物?と思った方もいるかもしれません。
アリなんです。
冬はもちろん、編み物のベストシーズンです。でも夏ニットはさらっとしていて、意外と涼しいんです。そして室内や車内の冷房での冷え対策にもなります。
コットン素材なら汗をかいても快適です。夏こそ、編み物を始めるチャンスかもしれません。
編み物がある未来へ
編み物って、1回編んだら終わり——そう思っていませんか?
私もずっとそう思っていました。祖母がほどいた毛糸を編み直していましたが、それは「親から子へ」「祖母から孫へ」渡すものだと思い込んでいました。
でも違うんです。自分のものでも、編み直していいんです。というより、編み直すものなんです。
体型が変わったから編み直す。袖を長く、または短くする。スカートの丈を変える。襟の形をアレンジする。いろいろ変えられるんです。
そして編み直す際に、糸が1本では弱くなってきたと感じたら、もう1本足して2本どりにすれば補強できます。同じ色を足せば同じイメージのまま。違う色を合わせると、また違う表情になります。
ニットショップのマダムは5本どりも普通にしています。同じような色の質感の違う糸を合わせると、なんとも言えない深みのある色が生まれるんだとか。
マダムはいつも言っています。
「ニットは究極のエコ」
本当にそうだと思います。捨てない。直す。育てる。祖母がそうしていたように。
体が動くうちは、アクティブな趣味もできるでしょう。でも将来、動けなくなっても、編み物はできます。
それだけで、なんだか安心します。
針を持てる限り、編み続けていたいです。
祖母の手が教えてくれたように。
The best is yet to come. これからがいちばんいい。
※本記事は個人の体験談です。