以前の私は、自分は比較的、仕事ができる方だと思っていた。頼まれた仕事には応えたい。困っている人がいれば助けたい。少し難しくても、工夫すれば何とかなる。それが、ずっと私のやり方だった。 でもある職場で、少しずつ、それができなくなった。
優先順位が見えない職場
その職場では、新しく入ってきた仕事が、そのまま担当者へ渡されることが多かった。
今、誰がどのくらいの仕事を抱えているのか。どの案件を先に進めるべきなのか。今日中に対応すべきか、数日待ってもらえるのか。
そうしたことが、あまり整理されないまま回ってくる。
自分で状況を判断しながら進めることを求められていた。自由度が高いともいえるし、それが働きやすい人もいる。でも私には、その曖昧さが少しずつ、負担になっていった。
「みんなやっている」と言われると、何も言えなくなる
仕事の量が多いと感じて、相談したことがある。
すると、「周りも同じようにやっている」という言葉が返ってきた。
確かに、ほかの人もたくさんの仕事を抱えていた。でもその言葉を聞いた私は、「みんなができているなら、私もやらなければ」と思った。
自分の負担を相談したはずなのに、いつの間にか、自分の頑張りが足りないような気持ちになっていた。
本当は、「今、何を抱えているのか」「どの仕事を優先するのか」「追加するなら、何を後ろへ回すのか」を、一緒に整理したかったのだと思う。
相談しても、判断が自分に返ってくる
よく分からない仕事を受け取り、進め方を相談したこともある。すると、「分からない仕事を受け取らないように」と言われた。
言われてみれば、その通りかもしれない。
でも私には、受け取っていい仕事と、受け取ってはいけない仕事の境界が、よく分かっていなかった。判断基準がはっきりしないまま、「自分で判断してください」と言われているように感じた。
間違って受け取っても自分の判断。断って問題になっても自分の判断。
仕事そのものより、常に判断を求められることに、疲れていたのかもしれない。
無理をすれば、できてしまった
私は、頼られるとうれしくなる。少し無理をすればできそうなことなら、つい引き受けてしまう。
「今日だけ頑張ればいい」「私がやった方が早い」「せっかく頼んでもらったのだから」。
そして、実際に何とかできてしまう。
けれど、「できた」という結果だけを見ていると、そのために使った心と体のエネルギーは見えない。一つひとつはできても、それが毎日積み重なると、少しずつ余裕がなくなる。
私は仕事ができていたのではなく、無理をすることで、できている状態を保っていただけだったのかもしれない。
植物には、合う場所がある
その職場で、問題なく働いている人もいた。
曖昧な状況でも、自分で優先順位を決められる人。仕事が来ても、必要ならすぐに断れる人。だから、その職場が悪いと決めつけたいわけではない。ただ、私には合わなかった。
植物にも、日当たりのよい場所で育つものと、日陰を好むものがある。どちらが優れているということではない。合わない場所で元気がなくなったからといって、その植物に力がないわけではない。
働くことが苦しくなったとき、私は自分を責めた。以前はできていたのに、どうしてできなくなったのだろう、と。
でも今は、少し違う見方ができるようになった。
私は仕事ができなくなったのではなく、自分に合わない環境の中で、長い間無理をしていたのかもしれない。
自分に必要な条件を、知る
合わない場所で働いた経験は、自分に必要なものを教えてくれた。
仕事の優先順位がある程度見えていること。困ったときに、相談しながら整理できること。業務量について話し合えること。何をどこまで担当するのか、境界線が見えること。
そうした条件が、私には大切なのだと分かってきた。
職場に自分を合わせることも、ある程度は必要だと思う。でも、自分がどんな環境なら安定して働けるのかを知ることは、甘えではない。
合わない環境に身を置いたことで、自分に必要なものが見えた。そう考えれば、この経験にも、意味があったのかもしれない。
これからは、ただ我慢して環境に合わせるのではなく、自分も相手も無理をしすぎない働き方を探していきたいと思う。
Keep your dignity. Keep your boundaries.
合わない場所で、自分の品位や価値まで見失わないために。